アラフォーOLがひとりでいきる話

新卒入社ルートに乗り損ねた後、色々あって30代で転職。シングル。女。彼氏ナシ。低収入…な「抉らせ系」がおくる日記。

2015年3月から、新しい職種・職場で不安一杯に勤務開始しました。
今の仕事の不安、前の仕事のこと、退職・転職のこと、その他諸々、気儘に語ります♪仕事は前向きに頑張っていますよ!

2016年04月

前回の記事で、友人が仕事を辞めると書きました。
既に後任も決まり引き継ぎをしているらしいのですが、その後任の募集をかけているという時に

「MOSの価値」 

について友人と話題になりました。
MOS、すなわち、「マイクロソフト・オフィス・スペシャリスト」 。
ワードやエクセルといったオフィス基本ソフトに関する、一番メジャーな資格です。 

応募してきた人の中に、MOSの保有者がいて、上司が「この人がいい」と言ったことに対し、友人は渋い顔でした。
曰く、「MOE(マイクロソフト・オフィス・エキスパート/MOSの上位資格)ならいいけど、MOSなんて持っててもなんの意味もないよねぇ」と言うのです。
彼女がそう言うのには訳があって、彼女の現職場には、職業訓練場やパソコン教室で学び、MOSを持っている人が何人かいるのですが、おしなべてまったくPCが使えないのだそうです。 

ちなみにこの場合の「PCが使える」とは、新しいソフトや知らない機能であっても、自分で調べたり学んだり慣れたりして、「大抵のPCソフトなら使える」ことを指しています。
要はその人たちは「どこかで習ったことのある操作」しかできず、たとえば新しいソフトを入れるとなると、「無理です。教室に通わせてください」と言うらしい。

そういう人たちを見て、彼女の認識の中では「MOSは役立たず」の認識が定着してしまった。


しかし、私は「えっ」と思いました。
何を隠そう、私はMOS(エクセル)の保持者です。
前職でも現職でも、私は基本的に「エクセルの得意なのまさん」で通っていて、よく「使い方教えて」と呼ばれます。関数を複合的に使って、色んなシートを作ってるタイプです。
(VBAは組めないあたりが微妙ですが^^;勉強したいところです)
そして、自分としては、そういうふうに「ある程度使えるように なった」のは「MOSのお陰」と思っています。

そもそもなんでMOSを取ったのか。
それは、前職を探していた時、私は事務職の経験がまったくなく、「PCが使える」ことを証明する手立てがありませんでした。
さらに言うと、実際、ある程度PCは使えましたが(プログラミングはできないけれど、シンプルなWEBサイトくらいならメモ帳一つでも組める程度には使える…くらいの位置)、「エクセル」は使ったことがなく、まったく使えなかったのです。
事務職で求められるのは「ワード」と「エクセル」だという認識はありましたから、とにかく、「エクセルの基礎が使える」ことを対外的に主張できる「何か」が必要だった訳です。

ところで、MOS(エクセル)で出てくる内容は大体、以下の通りです。

・COUNT、IF、ROUND 辺りの関数(VLOOKUPとかは出てこない)
・条件書式(これはやたら細かい)
・画像加工(これも妙に細かい)

仕事で使っている方は分かると思いますが、実践性はかなり低い内容です。 
だって、仕事でエクセル上に画像入れたとしても、その画像に「可愛い枠つけて、砂アートのように加工」したりしないでしょ。
せいぜいサイズ変更くらいでしょ。
関数は使い方しだいだけど、条件書式とか、ファイル重くなるしいちいち組んでらんないでしょ。
一日にいくつもシート作ったりするのに、必要以上に見た目に拘るなんて、時間の無駄でしょ。 


それでも、私はやっぱり、「MOSを受けたからエクセルが使えるようになった」と思っています。
要は、試験に出てくる作業の実用性はともかく、MOSの問題に即した作業を学ぶことで、「エクセルの思考回路」を理解できたからです。
ソフトが使えるようになるには、「そのソフトがどういう発想で動き、使われることを意図しているのか」を理解することが不可欠です。
MOSの試験は、自分にとって「エクセルというソフトの趣旨」を理解するのに充分だったわけです。



そんな気持ちがあったので、友人には「でも自分はMOSを取ったからエクセル使えるようになったな、って思うよ」と伝えました。
ついでに、MOSの試験料は高いので、「もう基礎が分かった」以上、むしろ「わざわざMOEを取る必要は感じなかった」とも。

友人は、自分の認識と私の意見のギャップにけっこう驚いていました。
そして二人で話していて、辿り着いた結論があります。
それは


わざわざ習ってMOSを取る奴は駄目だ


です。
もう少し丁寧に言えば、習うことがだめというより、「(操作法の)丸暗記で試験に通った奴」が駄目なのではないか、と。 

先に述べたよう、MOSははっきり言って操作のレベルも低いし、内容は実務の求めに足るものではありません。
だから「丸暗記」しても意味はないのです。
ちなみに自分は、本を一冊買って、2、3日で一通りやってみて受かりました。
(試験対策として、試験対応問題の項目は2、3周解きましたが)
これは自分が特別ではなく、ある程度PCを使える人ならば、誰でも可能だと思うのです。


そんな訳で、友人とは「MOSを持ってる人が来たら、持ってることより、どうやって取ったかを聞くべきだね」という結論に落ち着きました。
なんだかダラダラしてしまいましたが、何が言いたいかというと

1)MOSは馬鹿にもされるけど、正しく活用すれば無駄な資格ではない

2)ただし、その効果は「資格」としての看板ではなく、「理解の足がかり」なので、丸暗記で取ることは無駄である


っつーことです。

就職活動というと、どうしても資格、とくにPCスキル系の資格が必要なんじゃないかと考えがちだと思うので、ちょっと書いてみた次第です。
履歴書には書くべきか書かざるべきか、難しいところですねー。

「おっすごいじゃん」

と簡単に騙されてくれる人がいる一方、私の友人のように

「MOS如き、自信満々に書いてくるなんて、絶対使えねーwww」

と捉える人もいるわけですから…。
まあでも、私は去年の転職活動時にはしっかり書いておきましたww
でも、ちょろっと付けたしくらいで書いたかなぁ。


 

親しい友人が、近々、いまの会社を辞めるつもりなのだと話してくれた。
次の会社も既に決まっていて、計画退職らしい。
私は、色々な意味で追い込まれて辞めたから羨ましい辞め方。

とは言え、退職の話を聞いた時は驚いた。
確かに、常々会社への不満は漏らしていたけれど、辞めるつもりはないのだろうと思っていた。
というのは、給料はどうだったのかは知らないけれど(それでも今の私よりきっと高いww)、休みなどが取りやすく、残業も少なく、加えて場所や定時の設定も、とても理想的な会社だった。
給与や場所、会社の規模は、彼女の能力であれば、もっと「上」の会社も狙えるのだろうけれど、そうなると、きっと残業が多くなったり、定時が遅くなったりしてしまう。
この年になって、今よりプライベートの融通が利かなくなる選択はしないだろうと。


けれど、辞めるらしい。
新しい会社では、今より残業も増え、自宅からも遠くなり、さらに給料も少し減ってしまうのだそうだ。
(まぁ給料は、いずれ上がるのだろうから一時的なものだろうけど)
それでも、辞めるらしい。

結局、彼女が耐えられないと感じたのは、1にも2にも

会社組織そのものとそこに居る人間のレベルの低さ 

だったらしい。

彼女は趣味に生きている人で、今の職場も、趣味でやっている週2日の習い事や、年数回の旅行がしやすい会社、という視点で選んでいる。
バリキャリ志向ではなく、「自分ひとり食える程度に稼げればそれでよい」という大らかなタイプ。
だからもちろん、仕事に対しても、やたらめったら「上を目指し」てギャンギャン言うタイプではない。

それでも、周囲のやる気のなさに耐えられなくなったのだそうだ。
新しい仕事を覚えたり、調べて勉強する気が一切なく、「分かりません(だからやりません)」で通しきる同僚や、業績の不振を全て景気のせいにして、午前中はずっと新聞を読み続け、「忙しい忙しい」としたり顔で残業している上司と一緒にいるのが、 本気で嫌になったらしい。


分かるなぁ…。


私も前の職場では、一日一日、自分の「死んでいく音」が聞こえていた。

前にも書いたけど、はっきりいって、会社の福利厚生的な面では前の職場の方がよかったけれど、辞めて良かったという感想しかない。
今の会社が良いかどうかはともかく、前の会社より良いことは絶対だ。



社員が会社を辞める時、会社は「なぜその社員が辞めるのか」をきちんと検討しているのだろうか。
 
短期間で辞めてしまう場合は、 「単に社風と合わなかった」のかもしれないし、「ソイツが駄目人間」なのかもしれない。
けれど、ある程度の長さを働いた人間が辞めていくとしたら、その辞めた人間に多少の問題があったとしても、会社にも何かしらの問題を抱えていることは必至だ。
そしてその「問題」への不満は、残った社員もきっと同じく抱えている。

それが給料への不満ならば、まだしょうがない。
けれどもし、業務そのもの、組織の在り方そのものへの不満だとしたら、それは会社が死んでいく前兆でもあるような気がする。

そりゃあ中には、「俺は役者になりたい」等と、会社業務とまったく明後日の方向に夢を見出して、「業務を嫌がる」人もいるかもしれない。
けれどそんなのは少数派で、ほとんどの人は

・不効率

・人材のレベルの低さ

を不満に辞めて いくような気がする。


「辞めたきゃ辞めればいい。そんな奴は、うちの会社にはいらない」という考えもできる。
けれど逆に、「辞める人は辞められる(=次を見つけられる)人間である」とも言える。
そういう人材が去っていく意味。


人が辞める時と言うのは、会社を改革するチャンスでもあるんじゃないかなぁ。
新しい人を雇う時、もちろん「最高の人材」を獲得したいと思うだろう。
けれど同時に、「最高の人材に足る組織体か」ということも、考えてみるべきだ。



そんなことを思ったり思わなかったり。 


 

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