アラフォーOLがひとりでいきる話

新卒入社ルートに乗り損ねた後、色々あって30代で転職。シングル。女。彼氏ナシ。低収入…な「抉らせ系」がおくる日記。

2015年3月から、新しい職種・職場で不安一杯に勤務開始しました。
今の仕事の不安、前の仕事のこと、退職・転職のこと、その他諸々、気儘に語ります♪仕事は前向きに頑張っていますよ!

2016年03月

またまた間が空いてしまいました。
仕事が忙しかったのと、自分自身で「自分について」というような思考にどっぷりハマっていたのが原因です。
考えてる内にめんどくさくなって、放棄しちゃいましたけどw

けれど結論としては、やっぱり自分はこの生き方しかできないなぁという感じです。
自分の生き方や言動は、波風を立てずに暮らしたり、敵を作らず生活したり、異性にモテたり、同性に慕われたり、そういう平穏な幸福に向いたものではない。
でもじゃあそこを曲げて自分に何が残るのか。
何も残らない。

自分の感覚として、「人生の中で一番良かった」と思う時期が幾つかあります。
そしてその頃のことを考えると、やっぱり自分に関して、欠点も大きく出てはいたけれど、ものすごく生き生きと「好き勝手に」「囚われず」生きていた時期だなぁと思う。
とにかく自由がないと、息苦しいのが持って生まれたサガなので。
そういう、自分の道を勝手に驀進していくような、そういう生活を歩むことは間違ってない!!と思いました。

この半年、自分の中の思考回路や、「感覚」がその頃に近くなってきてる感じがしています。
だから、あまり何も考えずにその流れに乗りたいなぁというのが、今の所感であります。

あと、何度も言うように私は自分の人生で大きい挫折を経験しているのですが、その挫折を味わった時、一つだけ決めたことがあります。
それは「この先の人生、そのことによってどんなに損をしようとも、己の美学と誇りと信念は守り通す」ということです。
私にとって、美学や信念といった言葉は、幕末の志士のように重い。
だから結局、己のそれと一蓮托生、心中するしかないのだと思います。
私は私の信念と結婚している…、とも言える。


それはそうと、今の時期で、「転職」してちょうど1年です。
と、とりあえず続いた…。
職場に不満がないわけではないですが(一番の不満は休みが取れないことです…)、 仕事そのものは楽しいので、まぁ良いかなぁ。
前の職場は働きだして1日で、メインの仕事に対して「こんな仕事、毎日やってたら気が狂うわ!」って思ったからなぁ。 

そんな感じで、「転職日記」って感じでもなくなってきたので、このブログのタイトルもちょっと変えようかと検討中です。
まぁ1年経って、職場には慣れたけど、仕事内容そのものに対しては「まだまだペーペー」だから転職日記のまんまでも良い気もするけど。

とりあえず今年は、秋ぐらいには一人暮らしをしたいなぁと考えています。
本音としては、実家にいるのが一番、お金もかからないし、世話してもらえるし楽なのですが、単純に自室に私物が収まらなくなってきました…。
親戚の家を借りられりるので、家賃などは比較的安く済む算段があります。
それでもやっぱり一人暮らしすると、お金が今よりかかるようになりますから、そこが一番の悩みどこです。
まぁゆっくり考えます。 



++++++++++

全然関係ないけど、自分と同じ「高学歴ドロップアウト組」の友人と遊んでいたときのこと。
(私の周囲には、高学歴&特殊技能アリの駄目人間がゴロゴロいます)
話題の 「おそ松さん」は観たかという話になりました。
自分も友達も、「ちょっと観たけど、ハマりはしない」という感じだったんですが、その時の会話。

私「あっ、ハロワの回は観たよ」
友「そんなんあるんだー。あそこの中学生(おそ松さんの缶バッチつけてた)とか
  そんなん観て、暗い気持ちになったりしないのかな」
私「中学生はまだ自分の未来にハロワ通いは想定してないから、ファンタジーとして観てるんじゃね?」
友「アッ、そうか。ハロワになんてまだ行かない年齢だもんね!」
私「っていうかさ、マトモな人生歩んでる人は、大人でも普通あんまりハロワ通いの経験ないんじゃね」
友「……」
私「……」 
友「……」
私「……」
友「…うちらエキスパートだから」
私「…おそ松さん、いっそ懐かしかったよ……」 


ハロワ通いあるある!!! 

大学4年生など、来年4月入社の「新卒生」の就職活動が1日から始まりました。

去年は4月1日でした。あの頃のことを思い出します。
去年、自分の転職先が決まって働きだしたのは3月の下旬でした。
緊張いっぱいで、憂鬱な気分で通勤する日々でしたが、4月の頭、一気に町に「就活生」があふれたのを見て「先月中に仕事が決まって本当によかった」と思ったのです。

何度も言っていますが、私は「就職氷河期」と言われる中でも、一番のドン底の年の大学生でした。
本当にまったく就職先がなかった。
大手企業でも「10人採用」などがざらで(実際はもっと多く採用だったのかもしれませんが)、「東大生だけですべての枠なくなるよな」と真剣に思っていました。
それだけが原因ではないけれど、そこから色々人生に紆余曲折や挫折があり、今も底辺を彷徨っています。
やっと光が見えてきたかな、という状況です。

だから日本の「就職活動」のシステムには、全面的に強固に否定的な意見を持っているし、去年も書きましたが「時期がずれて大変」やら「大学フィルタが」などという話を聞くにつれ、就職試験やってるだけいいじゃねぇかと思います。 今でもそういう、屈折した思いがある。
だから、就職活動を頑張っている学生さんには何の非もないけれど、町で見かけるだけで、その「未来のある感じ」(に見えるのです)に、鬱屈とした想いを抱いてしまいます。
まぁ、今年は、現在の職場でそれなりに楽しく働いていますので、特になんとも思いませんが(人間って現金・・・)、去年、もしも仕事が決まらない中で見掛けたら、本気で死にたくなっていたでしょう。
ほんと、ギリギリで決まって良かったと思いました。


そしてもう一つ、自分の中で鬱屈した感情があります。

それは「どうしてあの頃、周囲の人たちは"働くこと"について「気持ちが楽になる」話をしてくれなかったのか」 ということです。
当時、自分の周囲から聞こえる働くことへの言葉は、「大変」とか「しんどい」とか「帰れない」とかそんな言葉ばっかりで、「やり甲斐がある」というような類の言葉でさえマレでした。
「大学生は楽でいいよね(=社会人は楽じゃない)」というような言葉ばかり聞いていた気がします。

自分は基本的に生真面目な方だと思う。
というか日本人の多くは生真面目です。
生真面目なうえ、まだ人生経験の少ない若者は、こういう「他人の言葉」を額面通りに受け取ります。
言う方は「甘ったれた若者に釘を刺す」ような気持ちなのかもしれませんが、刺された釘がそのまま錆て、身体の中で倦んでしまうこともあるのです。

自分が大学生だった頃、就職先がまったくないという社会状況も合わさって、「就職すること」に必要以上に怯え、「戦う前に敗れてしまった」人もたくさんいました。
自分もそうでした。友人にも居ました。

もちろん、一番の原因は自分自身です。
自分自身の人間的なレベルの低さが失敗の原因です。
当時だって、困難な中でも就職活動をがんばった友人は沢山いました。
 
けれどそれでも、誰かの「楽になる言葉」に触れられたら好かったのに…とも思います。
もっとも、こんな辺境のブログで、どこの馬とも知れない女が(しかもどちらかというと人生の負け組……←現状ではね!大逆転するから見てろよ!)言う言葉などなんの意味もないかもしれません。
けれど、誰かがたどり着くかもしれませんから、書いておきたいと思います。


学生の方。
或いは、学校を出た後、フリーターなどを経ていて、正業に就いた経験がなく今から仕事を探そうという方。


働くことは意外と楽ちんです。
確かに忙しいかもしれないし、求められる内容も高いです。
けれど、案外とどうにかなります。

残業ゼロで完全週休二日制で9時-17時の仕事であっても、今までの生活に比べ拘束時間が異様に長く感じるかもしれません。
けれど、仕事することは学校の授業とは違います。
ある程度、自分のペースで進められますし、ちょっと息抜きにお茶を飲んだり出来ますので、授業ほど窮屈な「拘束」ではありません。
目の前の仕事に没頭していれば、意外と時間は早く経ちます。

好きなことをする時間が減るように思うかもしれません。
けれど、その分アルバイト代より高い給料がもらえます。
私のように薄給であっても、それでも、最低限のお金が定期的に入ってきます。
お金で時間買えることもあります。
学生の頃より遊びに幅が広がります。
「遊ぶ時間」は短くなるかもしれないけど、内容はきっと濃くなります。
それに「学校にいってバイトでたくさん稼ぐ」よりは、ずっと自由な時間は多いです。 

総じて、働くことは大変ですが、その大変さは「学校へ行くこと」とそう変わりません。
ちょっと傾向が違うだけで「大変さの総量」はそう変わらないと思います。
社会人だからこそ大変なこともたくさんあるけれど、学生だからこそある大変なこと、働いていないからこそある大変なことも沢山あると思います。
大丈夫です。

良い仕事に出会えるか、それは分からない。
私も今でも不安です。迷っている。
でも少なくとも、それ「以外」 の不安はないのです。
「希望の会社に入れるか」「変な会社を引いてしまわないか」。
そういうことに不安を感じるのは仕方ないと思います。
けれど「働くことそのもの」まで不安がらないで大丈夫です。

変な会社に出会ってしまっても、次も変な会社とは限りません。

自分もまだまだ模索中ですが、模索はいくら続けてもよいと思います。
だから、ゆっくりでも、「向かうこと」だけは辞めないでみてください。
自分も頑張ってます。

 

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