アラフォーOLがひとりでいきる話

新卒入社ルートに乗り損ねた後、色々あって30代で転職。シングル。女。彼氏ナシ。低収入…な「抉らせ系」がおくる日記。

2015年3月から、新しい職種・職場で不安一杯に勤務開始しました。
今の仕事の不安、前の仕事のこと、退職・転職のこと、その他諸々、気儘に語ります♪仕事は前向きに頑張っていますよ!

2016年01月

連日、世間の耳目を集めるニュースです。

まったく立場が異なるので比べられるものでもないけれど、自分も1年前は色々あったので、「人間関係のシコリが仕事そのものに影響が出てくるというのは、きっと関わる全ての人にとって辛いだろうなぁ」とか、そんなことを考えてしまいます。
色々な立場の人の色々な感情がそれぞれ考えられるので、とても「しんどい」話だなぁと思います。

そんな中、タイトルの曲は色んな形で「テーマ曲」のようになっています。
報道の場のBGMであったり、ファン活動の旗印であったり、テレビで聞こえる機会も多いです。
そして改めて思いました。
この曲が発売された当初も思ったのですが

この曲が好きじゃないです。すごく。


いや、この言い方は語弊がある。
この曲の言わんとする旨は分かるんです。
そして「その通りだな」とも思う。
つまり「曲の主題は分かるし、良い事を言っている」とも思うんです。

でも同時に思うのです。
この曲を引き合いに何かが語られる時、大抵それは「逃げ道」として機能している…と。

つまり正しくは 「世界で一つだけの花」が嫌いなのではなく、「世界で一つだけの花」を持ち出して、「現状に甘えることを正当化する」論調が嫌なのです。
私が勝手にそう感じているだけかもしれませんが。


人間、努力したってどうにもならない時はあります。
今回の騒動だって、その一つでしょう。
スターダムのトップへ駆け上がり、そこに君臨し続ける人たちの、努力や苦労は並み大抵のものではないはず。
そこに持って生まれた才能や運といったgiftの要素があるにせよ、そのgiftの存在さえも霞ませるほどの、想像を絶する程の重荷を、彼らは背負ってきたはずです。
そして、そんな人たちだって、それでも「何かが上手くいかない」時はある。

そういう時に、この歌の伝えようとするメッセージはとても正しい。


でも例えば、自分に対してこの歌のメッセージは有効かと考えると、とてもそうは思えない。 
以前から何度か書いていますが、私は自分の人生の中で大きな挫折を味わっています。
その挫折は、私という人間の根底に、暗く冷たい闇のように存在し、常にその「重たくて暗い何か」をお腹に抱えたまま、私は日々を生きています。
そして何とか、それを改善したいと思っている。

その挫折について、今でも、「避けようがなかった」と思う。
色んな事情が重なって、きっと何度あの瞬間をやり直しても、「この結論」に至っただろうという気はする。

けれどそれでも、もしそういう自分の辛い感情に対し、誰かに「世界で一つだけの花」を引き合いに慰められたとしたにら、私は違和感を感じる。
違う。

避けようがない挫折だったとは思う。思うけども。
それでもやっぱり、私はまだこの歌を引き合いに出せるほど、何の努力も苦労もしていない。


「世界で一つだけの花」の伝えようとしているメッセージは重く尊い。
けれど他方で、そのメッセージに相応しい人がどれだけ居るのかとも思う。
他人と比べて競争して1番になることが人生ではない。それはその通りだ。
けれどそれは、「上を目指してもがく」ことをしなくて良いというメッセージではないはず。


つまりこういうことです。
「世界で一つだけの花」が嫌いというよりも、この歌の一部分を都合よく切り取って、「自己の甘やかし」に使っていることが多いような気がして、自分の中で収まりが悪いのです。
 もちろん、こういう考え方もできる。

「みんながみんな、あくせくしたり、もがいたりして生きたいわけじゃない。
ゆったりと、どっしりと、自分の道を静かに進む生き方もあるはずだ」

それはその通りです。
でも、そもそもそういう生き方ができてる人には、「世界で一つだけの花」は不要な歌なのです。
歌の伝えようとする境地の、更に先まで到達できているのだから。


あくまで自分の理解ですが。
この歌は、「一生懸命生きているけど、どうしても何かが上手くいかない人たち」に対する応援ソングだと思うのです。
でも自分は、そんな応援をされるに足る生き方が出来ている気がしない。 
もっと責めてくれるくらいでいい。
「ギリギリでいつも生きていたい」くらいの言われ方が丁度いいかもしれないw
まだ全然ギリギリで生きてない。


「お前が思ってる以上に、世間様は一生懸命生きてるんだよ!てめぇと違ってな!」と言われればその通りかもしれない。
また「そんなにいちいち、面倒くさく歌詞の意味なんか考えてないよ」と言われれば、それもその通りかもしれない。



でも自分そういうことを、いちいち考えて、けっこう本気で憤ったりしてしまう。 
我ながら本当に、天邪鬼でめんどくさいなぁと思います。
でも、これが自分の生き方なのでどうにもならんなぁ。

10年後の自分が平気な顔で「世界で一つだけの花って良い曲だよね」と言えるようになってたら良いなぁと思います。
要は自分はまだ、この曲を良い曲というに相応しい生き方をしていないのだ。 

12月の頭くらいに「ふるさと納税をしたよ」という話を書きました。
今月になって届いています!
「ワンストップ特例」の申請も出したので、「受け付けました」という受領証明も届いています。
安心安心。

大本命の肉はまだですが、今日は蟹が届いて蟹パーティーでした。
1万円の寄付額によるものなので、思ったより小さい蟹でしたが、タダだと思えば安いものです。 
蟹雑炊まで作って大満足です^^

周囲にも「ふるさと納税しなよ!」という話を散々していたら、自分の姉がやってくれました。 
姉は専業主婦なので正しくは義兄の分ですが、義兄は自分と違って収入も多いので、支払っている所得税・住民税も高くなりますから、寄付の限度額も高いようです。
なんだか自分ではもらえないような、旨そうで豪華な食材をゲットしてました。
いいなぁ。


ところで、「ふるさと納税しなよ」という話を最初に姉にした時、こんなふうに返されました。
「したいけど、いくらまで出来るのかよくわからない。損したくないし」

ふむ、なるほど…。

一般には「住民税(年間)の約2割」と言われていますが、そもそも給料天引きだと、自分の住民税の総額も忘れてたりしますよね。
「年収○○円なら大体幾ら」なんて解説してるサイトもありますが、これだって、扶養家族が居たり、住宅購入資金の借り入れやらがあったら変わってきますしね。

もっとも、今の時期だとちょうど、H27年の源泉徴収票が会社から配られる時期だと思いますので、ここに書かれてる内容をふるさとチョイスなどのシミュレーターに入れて計算してみるのも良いと思います。

だがしかし、私はもっと簡単な算出方法を思いつきました。
それは

毎月の給与明細に書かれている住民税×2カ月分

を限度額として捉えるというもの。
だいたい2割なので、二か月分なら絶対に越えることはありません。
限度額ギリギリまで使いたい方にはシミュレーターの利用をお勧めしますが、「ちょっとやりたい」方は、この形で限度額を把握するのが一番便利で簡単だと思います。

ただしご注意。
現在ひかれている住民税はH26年の年間所得によるものです。(6月以降はH27年) 
今年(H28年)から給料が下がった場合は、この方法だと算出できませぬ。 

悲惨な事故の報道がされていますね。
自分も夜行バスはたまに利用するので、他人事ではないです。

値段の安さも魅力ではありますが、それ以上に時間的な便利さがある。
土日しか休みが取れなくても、行きか帰りだけでも夜行にすれば、遠出もしやすいですからね。
体力的にしんどいので、出来る限り利用したくないのですが、それでも何年かに一度「夜行が一番便利だなぁ」と利用してしまいます。
昨年も、一度夜行バスを使ったのですが、その数週間後に利用した会社のバスが、事故を起こし後から不安を感じました。

レールの上を走る電車や、徹底的に有能なシステムが搭載されている飛行機と違い、特に「人」に依る部分の大きい「バス」は、そもそも「夜行」に向かないものなのでしょう。
だから、本当に安全を重視するならば、そもそも「夜間走行」型のバスの運行は禁止された方がよい。
けれど、それと同じか、それ以上に「安全性」を脅かす「原因」がある。
それが結局「下請け」問題だと思う。

業務委託やら、労働者の派遣やら。
法的な契約形態は色々異なるのかもしれないけれど、ひとくちに言うところの「下請け」、要は「下の立場の人間に仕事(それも業務の根幹にあたる部分)を振る(丸投げる)」こと。
仕事を「投げる」側には色々なメリットがあるのだろうけど、社会全体として見れば、弊害の方が大きいと思う。


なぜなら、そこには明確な「強者と弱者」の関係があるからだ。
 

「下」の側は常に立場が不安定だ。
「上」の都合でいつだって、「契約を切られる」可能性があるから。

だから「上」の要求にはできるだけ応えようとする。
けれど、応えられる要求には、人的物的金銭的限界がある。
結果として、「限界」を突破するため、自分たちの仕事環境のラインを「下げられるところ」まで下げていく。

たとえば経費を削減しようと、非効率な手段を選ぶ。
非効率な手段を使いながら、効率的な手段と同じ「結果」を出そう(見せよう)とするから、「仕事」の内容はハリボテ化する。

たとえば人件費を削減しようと、給与水準を下げる。
給与水準に見合った人材しか確保できないから、労働者の質が低下する。
そもそもその仕事を完遂するに足る能力のない人や、まだ経験不足(修行中)の人ばかりになる。

そういう環境が重なることで、既存の社員もやる気やプライドを失くし、退職するか、「無能社員」になっていく。



今回の件もそうだけれど、昨年のマンションの杭打ち問題などにも、同じことが言えると思う。
そりゃ確かに、「全ての仕事」を自分の会社で行う必要はない。
要所要所でアウトソーシングを使うことは、必要だと思う。

けれどやっぱり、提供サービスの根幹の部分は、「下請け」させたら駄目なんじゃないかと思う。
そしたらこんなことを言う人がいるかもしれない。
「全て自社のバスや運転手でバスツアーを組まなきゃいけなくなったら、ほとんどの会社はバスツアーなんて企画できない。そんな会社体力があるわけない」と。

止めたらいいと思う。

自分が言いたいのは、要はそういうことだ。
安全を切り売りしなければ存続できない会社など、そもそも存在するべきではない。



そして同じ弊害は、「派遣社員」問題でも言えると思う。
「いつでも解雇できる自由さ」 のために派遣社員を雇える現在のシステムはやっぱりおかしい。

派遣社員は、中短期プロジェクトの参加要員などの「一時的ポジション」での登用か、後の直接雇用に結び付く紹介型派遣以外では認めるべきではないと思う。
もちろん、派遣社員として働く人には「派遣社員であるが故の便利さ」が必要であり、派遣社員の制度がなくなったら困るという人もたくさんいるだろう。

けれどそれは、別の雇用問題として捉えるべきだ。
「派遣社員という働き方がなくなったら困る」というならば、「派遣社員でなければ、そういう働き方ができない社会を変革すること」を目指すべきだ。

シンプルに。
各会社は、自分の会社に必要な人材は、自分たちで雇用する。
そして、人には色々な生き方があるのだから、直接雇用や正社員であっても、多様な働き方ができるようになっている。
そーいう社会になったらいいな。 

今日は、ちょっと高い買い物をしてきました。
薄給の我が身としては、なかなか思い切った買い物です。
某ブランド品を買いました。

と言いながら、去年の終わり辺りから、なかなか(自分としては)高額な買い物が続いています。
1万円を超える買い物は、クレジットカードで支払うことにしているので(ポイント目当)、ここ数カ月「うへぇ!」と思うような請求がきて、毎度ビビってます。
繰り返しますが、薄給なので大した額じゃないですよ。
ただ「私的には高額」という話です。 


昨年末、昼休みに混んだ銀行を飛び回り、手持ちの各口座の精算をしました。
なんとなく

・お小遣い口座
・中間口座
・貯蓄口座

という感じで使い分けているのですが、手数料の関係で、お小遣い口座以外から引き下ろした小遣いがあったり、カードの引き落としの関係で貯蓄用のお金を貯蓄しないままお小遣い口座に入れっぱなしにしたりしていたので、それらを綺麗に片づけた訳です。

そして、貯蓄口座を観て、2015年の貯蓄額を把握しました。
2015年は、2月までは前職の給与が少し入ってきていまして、3月は完全無給、4月は一部、5月から現職の給与という感じの収入でした。
5月には再就職手当も頂きましたので、トータル的には1~4月の収入も、ずっと働いていたのと同じくらい…という印象です。
ほんと、再就職手当は無職期間に減った預金を戻してくれるナイスガイでした。 

それはともかく、そうやって収入全体を考えると、自分の貯蓄額はどーにも少ないです…。
一か月にすると、あと1.5万~2万は貯蓄できたでしょう、という感じ。
年間にして20万くらいは、あきらかに「分不相応」に金を使ってます。
実家暮らしなので、特に問題はありませんが、一人暮らしだったら赤字だろうなぁという支出具合。

駄目だなぁ…とも思うのですが、一方でこれこそが自分の働く理由だ

とも思いました。

そうです。私は無駄遣いがしたいのです。
無駄かもしれないお金を好きに使って遊びたい。楽しいことしたい。欲しいもの買いたい。人と会いたい。出かけたい。


自分は基本的に労働意欲が低い人間です。
だから「必要もないのに頑張って働く」ことはできません。
「定職に着かずフラフラしてる期間が長かった」と何度か書いていますが、そうやっていた一番の理由も、結局のとこ「さほどお金が必要でなかった」からだと思っています。
頑張って働くくらいなら、働かないで節約するさ、っていう。

けれど働くようになって、やはりお金を使うことを、少しばかりは覚えました。
そして一昨年、仕事を辞めるか続けるか悩んだ時、一番に悩んだことは「収入がなくなって好きなことを我慢しなければならないのは絶対に嫌だ!!」という思いでした。
その思いが、「辞めたい辞めたい」と思う自分を12月まで繋ぎとめたし、退職後、様々な理由から「働くことそのもの」への拒否感が強かった(一時期は本当にノイローゼのようでした)自分を、「何がなんでも働かなければ」というステージにまで押し上げたと思います。

要は、娯楽に対する強烈な希求心です。 



今日の買い物は高いものでしたが、「こういうブランド物を欲しいと思う自分」がなければ、きっと今も働いていなかったような気がします。
退職時の自分の試算では、そんなに散財しなければ、手元の貯蓄と失業手当三か月分で2年分の小遣いは足りるという感じでした。
でも「そんなに散財しなければ」の部分がどうしても嫌だったのです。
散財したい!
失業手当なんかじゃ足りない!!

基本的に無駄遣いは悪なのでしょうが、「お金を使う」という行動は、ある意味強烈にアグレッシブな行動なので、やはり相当な「アグレッシブさ」が要求される再就職活動の現場において、プラスに働くような気もします。
もちろん、自分の言っていることは、生活を背負わず暮らしている甘ちゃんの戯言でしょう。
けれど、甘ちゃんな自分には、「甘ちゃんな勤労意欲」が必要だったのだとも思います。


そんな訳で、個人的には、再就職も探さなければならないけれど、実家暮らしなどで、(本当の意味で)切羽詰まっているわけでもないので中々踏み出せない…という方は、まず思い切り好きなことに邁進してみることもお勧めします。



責任はとりませんが。 



-----

余談。

そして、自分で働いたお金で買ったブランド物はとても嬉しいです。
写メを撮って眺めて「がんばったからこれが手に入ったんだなー」とニヤニヤしています。

ショップでは、同じブランドの、今の自分にはとても手が出せないような素敵な商品を色々紹介してもらいました。
どれもこれも可愛くて、「うおおお欲しい!!でも買えぬ!!」という感じでした。

頑張ってお金持ちになりたいです。ほんとそれ。 
頑張る!! 

新年はじまっていきなり忙しいです・・・。
年明け早々の六連勤です。
気持ち的には、わりとやる気もあって前向きなんですが、単純に肉体がついてこないー。
夕飯食べたあと居間でゴロゴロしているうちに寝ちゃう率がめちゃくちゃ高いです。
中学生かっつー。

そんなこんなですが、自分的に今「容姿コンディション」がめちゃくちゃ良い気がします。
「容姿コンディション」ってありますよね!?
痩せたとか太ったとか、美容院行ったとか行かないとかあまり関係なく、「なんだかとってもバランスが良い」時期。
アイドルの人とか、すごく顕著だなーと思います。

体重的にはずっと「過去最高」くらいだし、美容院もこなだ行ってから一カ月以上経ってるので、決して「整ってる」状態じゃないのですが、毎朝、化粧しててとても気分が良いです。
「よし!」って感じで仕上がるから。
まー別に、自己満足というか「自分の中で」気に入ってるって話で、他人から褒められる訳でもないんですけどね。

逆に「容姿コンディション」が悪い時って、どんなに頑張って化粧しても、悪い方向にしか行かない気がします。
12月までは本当にひどくて、洋服買いに行っても、鏡に映ってる自分が醜すぎてうんざりしたのですが、1月からどうしたのだろう。
正月休みでよほどリフレッシュできたということかなw


まぁそんな感じで、今月も元気に仕事してまーす。来週は4日間だから嬉しいですね。

このページのトップヘ