連日、世間の耳目を集めるニュースです。
まったく立場が異なるので比べられるものでもないけれど、自分も1年前は色々あったので、「人間関係のシコリが仕事そのものに影響が出てくるというのは、きっと関わる全ての人にとって辛いだろうなぁ」とか、そんなことを考えてしまいます。
色々な立場の人の色々な感情がそれぞれ考えられるので、とても「しんどい」話だなぁと思います。
そんな中、タイトルの曲は色んな形で「テーマ曲」のようになっています。
報道の場のBGMであったり、ファン活動の旗印であったり、テレビで聞こえる機会も多いです。
そして改めて思いました。
この曲が発売された当初も思ったのですが
この曲が好きじゃないです。すごく。
いや、この言い方は語弊がある。
この曲の言わんとする旨は分かるんです。
そして「その通りだな」とも思う。
つまり「曲の主題は分かるし、良い事を言っている」とも思うんです。
でも同時に思うのです。
この曲を引き合いに何かが語られる時、大抵それは「逃げ道」として機能している…と。
つまり正しくは 「世界で一つだけの花」が嫌いなのではなく、「世界で一つだけの花」を持ち出して、「現状に甘えることを正当化する」論調が嫌なのです。
私が勝手にそう感じているだけかもしれませんが。
人間、努力したってどうにもならない時はあります。
今回の騒動だって、その一つでしょう。
スターダムのトップへ駆け上がり、そこに君臨し続ける人たちの、努力や苦労は並み大抵のものではないはず。
そこに持って生まれた才能や運といったgiftの要素があるにせよ、そのgiftの存在さえも霞ませるほどの、想像を絶する程の重荷を、彼らは背負ってきたはずです。
そして、そんな人たちだって、それでも「何かが上手くいかない」時はある。
そういう時に、この歌の伝えようとするメッセージはとても正しい。
でも例えば、自分に対してこの歌のメッセージは有効かと考えると、とてもそうは思えない。
以前から何度か書いていますが、私は自分の人生の中で大きな挫折を味わっています。
その挫折は、私という人間の根底に、暗く冷たい闇のように存在し、常にその「重たくて暗い何か」をお腹に抱えたまま、私は日々を生きています。
そして何とか、それを改善したいと思っている。
その挫折について、今でも、「避けようがなかった」と思う。
色んな事情が重なって、きっと何度あの瞬間をやり直しても、「この結論」に至っただろうという気はする。
けれどそれでも、もしそういう自分の辛い感情に対し、誰かに「世界で一つだけの花」を引き合いに慰められたとしたにら、私は違和感を感じる。
違う。
避けようがない挫折だったとは思う。思うけども。
それでもやっぱり、私はまだこの歌を引き合いに出せるほど、何の努力も苦労もしていない。
「世界で一つだけの花」の伝えようとしているメッセージは重く尊い。
けれど他方で、そのメッセージに相応しい人がどれだけ居るのかとも思う。
他人と比べて競争して1番になることが人生ではない。それはその通りだ。
けれどそれは、「上を目指してもがく」ことをしなくて良いというメッセージではないはず。
つまりこういうことです。
「世界で一つだけの花」が嫌いというよりも、この歌の一部分を都合よく切り取って、「自己の甘やかし」に使っていることが多いような気がして、自分の中で収まりが悪いのです。
もちろん、こういう考え方もできる。
「みんながみんな、あくせくしたり、もがいたりして生きたいわけじゃない。
ゆったりと、どっしりと、自分の道を静かに進む生き方もあるはずだ」
それはその通りです。
でも、そもそもそういう生き方ができてる人には、「世界で一つだけの花」は不要な歌なのです。
歌の伝えようとする境地の、更に先まで到達できているのだから。
あくまで自分の理解ですが。
この歌は、「一生懸命生きているけど、どうしても何かが上手くいかない人たち」に対する応援ソングだと思うのです。
でも自分は、そんな応援をされるに足る生き方が出来ている気がしない。
もっと責めてくれるくらいでいい。
「ギリギリでいつも生きていたい」くらいの言われ方が丁度いいかもしれないw
まだ全然ギリギリで生きてない。
「お前が思ってる以上に、世間様は一生懸命生きてるんだよ!てめぇと違ってな!」と言われればその通りかもしれない。
また「そんなにいちいち、面倒くさく歌詞の意味なんか考えてないよ」と言われれば、それもその通りかもしれない。
でも自分そういうことを、いちいち考えて、けっこう本気で憤ったりしてしまう。
我ながら本当に、天邪鬼でめんどくさいなぁと思います。
でも、これが自分の生き方なのでどうにもならんなぁ。
10年後の自分が平気な顔で「世界で一つだけの花って良い曲だよね」と言えるようになってたら良いなぁと思います。
要は自分はまだ、この曲を良い曲というに相応しい生き方をしていないのだ。
まったく立場が異なるので比べられるものでもないけれど、自分も1年前は色々あったので、「人間関係のシコリが仕事そのものに影響が出てくるというのは、きっと関わる全ての人にとって辛いだろうなぁ」とか、そんなことを考えてしまいます。
色々な立場の人の色々な感情がそれぞれ考えられるので、とても「しんどい」話だなぁと思います。
そんな中、タイトルの曲は色んな形で「テーマ曲」のようになっています。
報道の場のBGMであったり、ファン活動の旗印であったり、テレビで聞こえる機会も多いです。
そして改めて思いました。
この曲が発売された当初も思ったのですが
この曲が好きじゃないです。すごく。
いや、この言い方は語弊がある。
この曲の言わんとする旨は分かるんです。
そして「その通りだな」とも思う。
つまり「曲の主題は分かるし、良い事を言っている」とも思うんです。
でも同時に思うのです。
この曲を引き合いに何かが語られる時、大抵それは「逃げ道」として機能している…と。
つまり正しくは 「世界で一つだけの花」が嫌いなのではなく、「世界で一つだけの花」を持ち出して、「現状に甘えることを正当化する」論調が嫌なのです。
私が勝手にそう感じているだけかもしれませんが。
人間、努力したってどうにもならない時はあります。
今回の騒動だって、その一つでしょう。
スターダムのトップへ駆け上がり、そこに君臨し続ける人たちの、努力や苦労は並み大抵のものではないはず。
そこに持って生まれた才能や運といったgiftの要素があるにせよ、そのgiftの存在さえも霞ませるほどの、想像を絶する程の重荷を、彼らは背負ってきたはずです。
そして、そんな人たちだって、それでも「何かが上手くいかない」時はある。
そういう時に、この歌の伝えようとするメッセージはとても正しい。
でも例えば、自分に対してこの歌のメッセージは有効かと考えると、とてもそうは思えない。
以前から何度か書いていますが、私は自分の人生の中で大きな挫折を味わっています。
その挫折は、私という人間の根底に、暗く冷たい闇のように存在し、常にその「重たくて暗い何か」をお腹に抱えたまま、私は日々を生きています。
そして何とか、それを改善したいと思っている。
その挫折について、今でも、「避けようがなかった」と思う。
色んな事情が重なって、きっと何度あの瞬間をやり直しても、「この結論」に至っただろうという気はする。
けれどそれでも、もしそういう自分の辛い感情に対し、誰かに「世界で一つだけの花」を引き合いに慰められたとしたにら、私は違和感を感じる。
違う。
避けようがない挫折だったとは思う。思うけども。
それでもやっぱり、私はまだこの歌を引き合いに出せるほど、何の努力も苦労もしていない。
「世界で一つだけの花」の伝えようとしているメッセージは重く尊い。
けれど他方で、そのメッセージに相応しい人がどれだけ居るのかとも思う。
他人と比べて競争して1番になることが人生ではない。それはその通りだ。
けれどそれは、「上を目指してもがく」ことをしなくて良いというメッセージではないはず。
つまりこういうことです。
「世界で一つだけの花」が嫌いというよりも、この歌の一部分を都合よく切り取って、「自己の甘やかし」に使っていることが多いような気がして、自分の中で収まりが悪いのです。
もちろん、こういう考え方もできる。
「みんながみんな、あくせくしたり、もがいたりして生きたいわけじゃない。
ゆったりと、どっしりと、自分の道を静かに進む生き方もあるはずだ」
それはその通りです。
でも、そもそもそういう生き方ができてる人には、「世界で一つだけの花」は不要な歌なのです。
歌の伝えようとする境地の、更に先まで到達できているのだから。
あくまで自分の理解ですが。
この歌は、「一生懸命生きているけど、どうしても何かが上手くいかない人たち」に対する応援ソングだと思うのです。
でも自分は、そんな応援をされるに足る生き方が出来ている気がしない。
もっと責めてくれるくらいでいい。
「ギリギリでいつも生きていたい」くらいの言われ方が丁度いいかもしれないw
まだ全然ギリギリで生きてない。
「お前が思ってる以上に、世間様は一生懸命生きてるんだよ!てめぇと違ってな!」と言われればその通りかもしれない。
また「そんなにいちいち、面倒くさく歌詞の意味なんか考えてないよ」と言われれば、それもその通りかもしれない。
でも自分そういうことを、いちいち考えて、けっこう本気で憤ったりしてしまう。
我ながら本当に、天邪鬼でめんどくさいなぁと思います。
でも、これが自分の生き方なのでどうにもならんなぁ。
10年後の自分が平気な顔で「世界で一つだけの花って良い曲だよね」と言えるようになってたら良いなぁと思います。
要は自分はまだ、この曲を良い曲というに相応しい生き方をしていないのだ。